NKCグループは時代のニーズを汲み取った製品・サービスを世に送り出し
「社会の安全と安心の保持」に貢献してきました。
ものづくり企業として製品をつくることにとどまらず、
独自の技術力で持続可能な社会の実現、社会課題の解決に寄与することが
私たちの存在意義です。
明治末期の京都で腕利きのかざり職人だった中西辰次郎が、ベアリング修理をきっかけにリテーナー製作へ挑む。1924年に大阪で中西製作所を創業し、金属おもちゃとともに足踏み脱穀機用リテーナーを製造。大恐慌を経て、戦時体制下では軍需工場として稼働した。終戦後は賠償指定を受け、平和産業(自転車)へ転換し、「アルプス号」「デラックス号」「NKK号」などのヒット製品を世に送り出し、復興の道を切り拓いた。
朝鮮戦争の特需と賠償指定の解除で日本経済は回復。高度経済成長期を迎え、ベアリング業界は活況を呈したが、一方で中西金属工業の経営の柱は依然として自転車生産であり、リテーナー生産の本格的な再開は遅れていた。
高度成長が終焉し、オイルショックで景気が冷え込むなか、日本は輸出で活路を見出すが、貿易摩擦が深刻化する。この激動期に中西金属工業は、1971年に創業者の私財をもとに「中西奨学会」を設立。経済的に恵まれない若者に無償で学資を給付し、未来をつくる子どもたちの育成に貢献した。苦境のなかでも経営の発展と社会貢献を両立させていった。
第2次オイルショック後の経済摩擦とプラザ合意による円高を受け、自動車・ベアリング業界は国外での現地生産を加速させていった。中西金属工業も米国へ進出し、海外展開を本格化させた。その後、政府の金融政策をきっかけとするバブル期には需要が急増、事業規模は過去最大に拡大した。
バブル崩壊により日本経済は「失われた10年」へ。阪神・淡路大震災や金融危機が追い打ちをかけるなか、中西金属工業は積極的な海外展開によって資金的な重荷が増大し、経営基盤の立て直しが課題となった。収益構造の改革に着手し、安定成長へつながる企業体質づくりを進めた時代である。
ITバブル崩壊や同時多発テロ、リーマンショックなど世界的な不況がつづくなか、中西金属工業は経営改革を断行。財務体質を強化した。厳しい経済環境下でも、組織のスリム化と基盤整備を進め、再成長への足場を築いた。逆境に耐え抜いた経験が、その後の事業展開の礎となった。
東日本大震災や新型コロナウイルスなど、社会が大きく揺れた2010年代。NKCは既存事業の維持成長を図りながら、新会社設立やM&Aを積極的に推進。各部門の成長を支える複数の柱を築き、変化する市場環境に柔軟に対応しつづけた。安定と挑戦の両輪で未来のNKC像を描き、次の100年への基盤を固めていった。
コロナ禍においてもBCPにより事業を継続し、業績回復を加速。2022年には大阪府と「包括連携協定」を締結するとともに、本社近隣の天神橋筋商店街に福祉カフェとこども食堂の機能を併せ持つ「なかにわカフェ」をオープンした。2024年には「NKC Sustainability Vision 2024」を策定し、社会課題解決と事業成長の両立を目指して、変化を恐れずチャレンジし続けている。