ロゴ

  • 創業から戦火、復興、成⻑の1980年まで
  • 米国へ工場進出、80年代の海外戦略
  • フィリピン、中国に生産拠点
  • 経営近代化へ社内制度改⾰
  • 2024年⼀創業100周年を⾒据えて
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回すのはキミだ。

中西金属工業株式会社

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軸受・特機部門も再生を模索

2001年度に初めて赤字決算

  バブルが崩壊した後、内需主導で回復途上にあった日本経済も、住専問題による信用不安やアジア通貨危機の追い討ちで、再びマイナス成長に転じた。多額の不良債権と株価の低迷などで、都銀の一角を占めていた北海道拓殖銀行が破綻、日本長期信用銀行・日本債券信用銀行も国有化され、4大証券の1つ、山一證券は自主廃業に追い込まれた。

  1997(平成9)年から始まった金融恐慌とITバブルの崩壊で、リテーナー部門の業績が急激に悪化した。成型機導入など大型の設備投資が重荷になると同時に、従業員もだぶつき気味になって経営を圧迫、2001(平成13)年度に初めて1億円の赤字決算となった。経営改革委員会は、希望退職者の募集などリストラ策を実行せざるを得ないと判断、具体的な対応をとった。

  80人近い従業員が再就職制度を利用して転職、労働組合の協力もあって2002(平成14)年5月にリストラがほぼ完了した。フィリピン・セブ島へのアセアン・プロジェクトを立ち上げた森原は、人事総務部長として軸受・特機部門のリストラを担当、「企業の生き残りのため、と割り切ってはいたが、新参者の私が旗を振るのはなんとも心苦しく、ビジネスマン人生でも忘れがたい苦しい時期の1つだった」と語っている。

 

再生に向け5カ年計画を策定

  このころの経済状況は、平成不況が長く影を落とし、2001(平成13)年から2002(平成14)年の実質経済成長率は0.2%、0.3%と低迷、失業率も初めて5%台に乗り、新卒者がなかなか職につけない“就職氷河期”という言葉まで生まれた。

  経済の停滞がデフレを引き起こし、製品の価格体系が崩れ、顧客先からの値引き要求が一段と強まってきた。安い人件費でつくられる中国や東南アジア諸国の製品に対抗するためにも、コストダウンを強力に推し進めなければならない。わが社は2004(平成16)年度を初年度とする中長期5カ年計画を策定した。成長戦略として売り上げアップと高利益率確保を掲げ、付加価値のある新製品、新規事業開発に取り組む姿勢を示した。