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  • 創業から戦火、復興、成⻑の1980年まで
  • 米国へ工場進出、80年代の海外戦略
  • フィリピン、中国に生産拠点
  • 経営近代化へ社内制度改⾰
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フィリピン・セブ島に工場進出

アセアン・プロジェクトが始動

  1990 年代から2000年代にかけての海外展開の動きは、欧米から近隣のアジアに中心が移った。そのハイライトはフィリピン・セブ島への工場進出であり、それに続く中国3都市(大連、無錫、仏山)への集中的な拠点づくりである。米国への工場進出が、供給先からの要望が強かったのに対し、国内工場との住み分けを図り、価格競争力を求めての海外進出であり、バブル崩壊後の低成長時代の生き残り戦略でもあった。    1996(平成8)年6月、アセアン・プロジェクトの特命チームが発足した。リーダーは就任したばかりの森原隆繁取締役管理本部海外事業室長で、ほかのスタッフは取締役名張工場長を経験した金田敏夫、中西化工の河内工場長だった大塚征郎、三重工場の菊池富美正の計4人。「アセアン地域のどこかに工場をつくりたい。候補地を探してほしい」というのが、当時の木村一夫常務経由で与えられた中西一雄社長からの特命事項だった。

  森原は同年3月、当時の住友銀行(本店支配人)からわが社に移籍した。銀行時代は海外勤務が長く、アトランタ支店長時代には、わが社のアセンズの工場はすでにリテーナーの生産を始めており、偶然ながら取引先の1つとして接点を持っていた。海外経験が豊富な森原をトップにすえ、アセアン・プロジェクトが動き出した。

 

フィリピン・セブ島に白羽の矢

  プロジェクト・チームの4人は、綿密な打ち合わせと事前調査をすませ、1996(平成8)年8月から9月にかけての約1カ月間、現地調査に乗り出した。フィリピンのマニラとセブ島、ベトナムのホーチミン(旧サイゴン)、タイのバンコク、インドネシアのバタム島やスラバヤへと、工場用地を求めて長い旅を続けた。

  同チームはセブ島沖のマクタン島にある工業団地を候補地の筆頭にあげた。その理由として首都マニラに次ぐ第2の経済圏で治安もよいこと、日本はじめ欧米の企業進出が盛んなことなどを指摘している。この工業団地については、すでに中西竜雄取締役部長(当時)ほか社長室のメンバーが視察済みで異論はなく、すんなり決定した。

  その後曲折はあったものの、12月には無事契約にこぎつけた。

  プロジェクト・チームの1人で、フィリピンの初代工場長に就任、約4年間現地暮らしをした金田は、「バブル崩壊で日本経済が減速期に入っていたころで、社内には“出るも地獄、残るも地獄”という声がささやかれていましたが、とにかく工場をつくることに専念しました。同業他社の動向も気になりながら、候補地探しの旅から、セブ・マクタン島に決定、新工場建設、操業開始とめまぐるしい日々でした」と語っている。

NPC基礎【NPC定礎】

 

早かった操業開始

  工場の所在地はセブ州ラプラプ市のマクタン輸出加工区Ⅱ。総建屋面積1万1700㎡の 工場棟を建て、樹脂リテーナー、ゴムシール、戸車などの生産を始めた。1997(平成9)年3月、資本金約2億円の現地法人「NKC MANUFACTURING PHILIPPINES CORPORATION」(NPC)を設立、初代社長に前述のプロジェクト・チームの金田が就任 した。操業は同年6月から、従業員150人でのスタートだった。

  海外生産拠点としては米国の2工場に次ぐ3番目。その後、生産規模の拡大に伴い、2005(平成17)年に第2工場を建設、総建屋面積は1万6800㎡に広がった。この時期、米国・ジョージア州のアセンズ工場で手がけていたゴムシールの生産を、加硫成型機やトリミング装置ごとフィリピンに移管している。この結果、従業員は660人に膨らんだ。

NPC包装グループ cebu
【NPC 包装グループ】 【NPCに隣接するセブ空港】

 

マニラに次ぐセブ都市圏は240万人

  セブ市を中心とするセブ都市圏には約240万人が生活しており、サンカルロス大学などの総合大学が6校、セブ師範大学などのカレッジが39校あり、マニラに次ぐ高い教育集積を誇っている。国際、国内線のハブ空港をもち、フィリピンの南と北を結ぶ商業、交易の中心地で、近年はソフトウエア制作などIT産業のアウトソーシング先としても活況を呈している。マリンスポーツはじめリゾート地としても有名である。

  歴史的にはフィリピン最古の植民都市。1521年にポルトガルの航海者、フェルディナンド・マゼランが部下を率いてセブ島に上陸した。キリスト教を布教するマゼランに対し、領主のラプラプ大王は抵抗。激しい戦闘となって、マクタン島北部のエンガノ岬でマゼランが戦死する。当地ではラプラプ大王を「世界の征服者に勝利した最初のアジア人」として崇め、古戦場近くの広場に大王の像が建てられている。