ロゴ

  • 創業から戦火、復興、成⻑の1980年まで
  • 米国へ工場進出、80年代の海外戦略
  • フィリピン、中国に生産拠点
  • 経営近代化へ社内制度改⾰
  • 2024年⼀創業100周年を⾒据えて
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  • 会社概要

回すのはキミだ。

中西金属工業株式会社(NKC)

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コンベア部門のグローバル展開

米国メンフィスに初の海外工場

  わが社で初の海外生産拠点となった米国のメンフィス工場。そこに海外駐在員第1号として赴任したのが、1970(昭和45)年入社の岡崎茂雄取締役・中西輸送機社長である。当時、岡崎は入社10年目で、海外勤務など考えたこともなかったという。NAIへの出向辞令に「平たくいうなら出合い頭の交通事故にあったような衝撃でした」と、後に社内報のインタビューで答えている。「何で私が?」という思いもあった。  NAIの初代社長は今村忠則。岡崎は営業技術のアシスタントマネジャー(係長)で、現地採用のキャロルさんという女性との3人での船出だった。岡崎自身は妻と当時4歳と2歳の子どもを連れての転勤で、大阪・伊丹空港から丸一日かけて現地のアパートに到着した。「日が暮れ、荷物をほどき、ミルクを取り出して子どもに飲ませたとき、無性に心細くなった」と回想している。

  当時、わが社のコンベアは国内では後発組だったが、米国で採用された実績が日本に逆輸入され、日本でもしだいに知名度が高まってきた。それに加えて大きな転機となったのが、米国でも家電から自動車へ軸足を移したことである。前項でも触れたが、米国に工場進出した本田技研工業や日産自動車の生産ラインを手がけるようになった。この流れは1985(昭和60)年のプラザ合意後の円高で一気に加速することになる。

3人でスタートのNAI

3人でスタートのNAIも技術部だけでこの規模に(2008年)

 

 

DACシステムが急成長支える

  1985(昭和60)年時点のコンベア部門の売上高は、年間約140億円、うち6割を海外が占めていた。急成長の背景には、わが社技術陣の不断の品質改良努力がある。1959(昭和 34)年入社でコンベア営業畑を歩んできた山本功・元取締役は、最も印象に残る技術革新としてDACをあげる。1978(昭和53)年、三菱自動車工業と共同開発したドーリー・アキュムレーション・コンベア(DAC)。岡山県にある水島製作所の塗装工場に導入したコンベアシステムで、塗装から組み立てに移る車体を一時プールできる機能が特徴である。

  このDACシステムが日本の自動車塗装工程の主流になり、海外の自動車メーカーにも波及した。

  広島のマツダを通じて提携関係にあったフォードとの関係も生まれ、中西金属工業が米 ビッグ・スリーの一角に食い込んだ、と話題になったのは1987(昭和62)年前後だ。このプロジェクトに携わった山本は「デトロイトに限らず、大きなプラントを手がけるときに 最も大切なことはメンテナンスなどのアフターケアだ。トラブルにいかに迅速に対応できるかが設備メーカーの死命を制する」と語っている。

 

英国、スペイン、ドイツに現地法人

  米国・メンフィスのコンベア工場が軌道に乗りつつあった1984(昭和59)年、英国のプリマスに工場進出していた東芝から電子レンジの生産ラインを受注した。米国駐在を約4年で終え帰国していた岡崎が単身英国に渡り、現地で工事請負会社を探して工事契約を交わした。職業別の電話帳(イエローページ)から10社ばかりリストアップして電話をかけ、見積もりを依頼するというゼロからのスタートだった。

  東芝プリマス工場の工事が終わると、1985(昭和60)年春にはニューカッスル近郊のサンダーランドに工場進出する日産UKの生産ラインづくりが待っていた。ここでは、英国のコンベアメーカーの老舗、ヘーデンキング社と組んで工事にあたった。日本の自動車メーカーの現地生産が米国から欧州に広がり始めたころで、わが社は1987(昭和62)年、ヨーロッパで初の拠点となる現地法人、「NKC CONVEYORS(UK) LTD.」を英国に設けた。

  スペインでは日産自動車がバルセロナで、スズキがマドリード南のレナレスで現地生産を開始、いずれもわが社がラインを受注した。スズキはハンガリーでも現地生産に乗り出したが、こちらは協力会社で対応した。スペインでは「NKC. ESPAÑA」、カナダでは「NKC OF CANADA, INC.」をそれぞれ設立。1992(平成4)年には、オランダで生産を手がける三菱自動車工業とボルボ社の合弁プロジェクトを受注し、ドイツのデュッセルドルフに事務所を開設した。

高台からのバルセロナ市街

高台からのバルセロナ市街

 

インドのホテル火災で社員が犠牲に

  わが社のコンベア部門は、欧州でのめざましい展開と同時に、東南アジアへの進出も着々と進めてきた。1988(昭和63)年にはタイに「THAI NAKANISHI CO., LTD.」、台湾に「TAIWAN NAKANISHI CONVEYORS CO., LTD.」、韓国にも「韓国中西」を設けている。いずれも現地の設備工事会社と連携して、家電や自動車の生産ラインづくりに対応している。インドではスズキの現地生産に伴い、わが社は技術者などを派遣していた。

  1986(昭和61)年1月23日、インド・ニューデリーの高級ホテル「シッダルタ・コンチネンタル」で火災が発生、38人の宿泊客が犠牲になった。そのなかに長期出張中の日本人ビジネスマンが3人含まれており、そのうちの1人が中西輸送機社員の紀田義己さん(当時32歳)だった。

  わが社は1983(昭和58)年から、インド国営自動車メーカー、マルチ・ウドヨグ社向けにコンベアを製造、現地で組み立て据付作業をしていた。そうした海外展開のなかで起きた悲しい出来事で、新聞は「企業戦士、異国の無念」と報じた。