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  • 創業から戦火、復興、成⻑の1980年まで
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中西金属工業株式会社(NKC)

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人事制度改革で成果主義導入

70年代半ばに職能給制度を導入

  1990年代はバブル崩壊による日本経済の低迷で、のちに“失われた10年”と呼ばれるようになった。最近では2000年代の10年を加えて“失われた20年”とさえ称されている。こうした低成長時代を踏まえ、わが社が進めてきた改革は、リストラをも伴う経営再構築であり、金融機関からの借入金を減らす財務体質の改善策であった。その仕上げともいうべきものが、成果主義と能力主義をミックスした人事制度改革である。

  1999(平成11)年、社内に人事制度改革委員会が発足するが、その前に、わが社の賃金体系の改革の足取りを簡単に振り返っておこう。日本が高度経済成長の真っただ中にあった1970年代、基本給(年齢給)プラス職務遂行能力給という職能資格制度の導入が広がった。日本の年功序列と米国の職能をミックスしたような制度で、わが社も1976(昭和51)年から導入した。その背景には、給与水準を大手ベアリング会社に近づけたい、との強い思いがあった。

  職務遂行能力給は職務遂行能力のレベルに応じて支払う賃金で、何級何号社員という資格等級によって、同期でも個人の能力の伸長度により差がついた。一方、年功序列の基本給にも手をつけ、50歳を頂点に定年の60歳まで徐々に下げ、10年目に20%カットされるようにした。これで得られる原資を若手社員に振り向けるねらいがあった。この制度は1980(昭和55)年から導入されている。

  当時、人事を担当していた佐野浩夫・元取締役は、「労使協調の労働組合も職能給に理解を示してくれたが、さすがに50歳頭打ちには抵抗された」と振り返る。日本全体では年功序列がうまく機能し、高度経済成長を支えてきた。勤続年数が勲章になり、その記念に食事会を開く家族的経営に、誰も疑問を差し挟まなかった。こうした日本的経営は1980年代に徐々に修正され、1990年代のバブル崩壊で大幅な見直しを迫られることになった。

人事制度改革委員会が発足

  1999(平成11)年発足の人事制度改革委員会は1年余りの議論、検討をへて2001(平成13)年から、まず管理職を対象に、成果主義を取り入れた賃金制度を導入した。従来の職能資格制度を廃止して、賃金の2分の1に役割と成果が反映される給与体系にした。創業から80年続く老舗メーカーであり、オーナー企業でもあるわが社に、いきなり完全な成果主義はなじみにくい、という判断が働いた。

  セーフティネットとして過去貢献の部分を評価した賃金を担保した仕組みが、新人事制度である。この制度は、一部修正を加えて3年後の2004(平成16)年から一般従業員にも導入された。年齢給を廃止し、成果主義と能力主義の長所をミックスしたものだ。給料は原則として年功で上がることはなく、成果や発揮能力で上がる部分がこれまでより大きくなる、メリハリのついた制度である。労働組合も成果主義の導入に一定の理解は示したが、「評価する人間が運用を誤らないよう、管理職教育を徹底してほしい」と注文がついた。

役割と責任を基準に貢献度を評価

  2003(平成15)年1月の社内報で、この人事制度改革の背景と目的を詳報している。それによると、これまで職能資格制度を処遇の中心に位置付けてきたが、低成長、高齢化、国際化といった経営環境の変化で時代の間尺に合わなくなってきた。具体的には、右肩上がりの賃金カーブを下げる機能がないし、中高年層では過去に身につけた能力(習得、習熟)が陳腐化し、能力と実力と賃金のミスマッチが生じていると指摘している。

  そうした背景を踏まえて打ち出したのが、独自の等級制度である「職群ランク制」である。多くの企業が導入している成果重視型等級制度では、等級が細分化され序列主義的な運用になりやすいといった難点がある。わが社がめざす新しい制度は、まず仕事の「目的」をとらえ、そのためにはどのような「成果」を達成する必要があるか、を組織的に把握する。そして担当業務の「責任」の内容とレベルを等級基準という形で明示する。

  具体的には、上司が部下に要求する仕事の成果は何かを個々に把捉して、役割と責任を明確にし、それが部門、組織、機構のどの責任段階に当てはまるかを判断、月例賃金のベースにする。そのうえで、毎年の人事考課で貢献度を評価判定しながら、賞与や昇給に反映させ、さらに昇進昇格や適正配置、人材登用などの処遇にも連動させる。時代に対応した“強い企業”になるため、制度の再構築を進めていきたい、と結んでいる。

 

中西流のマイルドな成果主義

  労働組合との交渉を1年近く継続したうえで、2004(平成16)年に“成果能力主義”ともいわれる新しい制度がスタートした。1985(昭和60)年入社で当時人事制度改革に携わっていた和田亨・人事部長は「リストラの実行も大変な課題だったが、人事担当者としては未来につながる制度変更こそが改革の本丸だった」と振り返っている。

  さらに賃金体系で手をつけたのが賞与(一時金)と退職金だ。年間賞与は従来の春闘交渉から除外し、業績に連動する仕組みにあらためた。管理職は2001(平成13)年7月から、組合員は2003(平成15)年7月の賞与から導入した。退職金については2009(平成21)年、内部留保の現金による一時払いから確定拠出年金制度に移行した。2002(平成14)年以降は業績の向上にも支えられ、この時点で社員全員の過去分を4年分割で外部に拠出することを確定できた。